谷保天満宮 100年前の日本人の写真と共に 君を忘れない 君は僕の誇り 怨霊となった父に父母恩重経を奉持供養

youtube.com/watch?v=VOx_NIcQ8ZU

2023/07/31
穏やかな空気の聖域。 のんびりと散歩がてら、訪れるのにちょうどいいような神社です。 けれど、その歴史は過酷。 捏造された罪でおとしめられた日本最大の怨霊となった菅原道真。 その息子が建てたと言われる神社ですが、息子の名前道武は歴史書にないのです。 自分で名前を変えたのか、歴史書が間違えたのか。 豪華な本殿では父親菅原道真を祀り、その後ろにある小さな場所には道武公のこれまた小さな祠が。 子供が父を慕う、愛情を感じられる場所です。 父母恩重経南無父母不二佛拈華微笑
hougakumasahiko.muragon.com/entry/6.html 菅原道真と谷保天満宮の年表 昌泰4(901)年 菅原道真 流罪 延喜3(903)年 菅原道真 死去 延喜6(906)年 冬、菅原道真の嫡子高視は赦免され、大学頭に復帰 延喜8(908)年 藤原菅根が病死 延喜9(909)年 藤原時平が39歳で病死 延喜13(913)年 右大臣源光が狩りの最中に泥沼に沈んで溺死 延喜21(921)年 菅原道武 死去 延喜23(923)年には醍醐天皇の皇子で東宮の保明親王が薨御 4月20日(923年5月13日)、道真は従二位大宰員外帥から右大臣に復され、正二位を贈られた 延長8(930)年 朝議中の清涼殿が落雷を受け、大納言藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件)上に、それを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御した 天暦元(947)年 京都北野天満宮を造営 正暦4(993)年6月28日 菅原道真へ贈正一位左大臣、同年閏10月20日には太政大臣が贈られた 養和元(1181)年11月3日 旧来の地(現国立府中インター付近)より神殿を現在の地に遷る 建治三(1277)年 後宇多天皇の勅により谷保天満宮へ藤原経朝書「天満宮」の扁額


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