大内義長終焉勝山城址豊功神社
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長府藩の最初の居城/櫛崎城跡
皆様あけましておめでとうございます。
今年のお正月は実家のある下関に戻りまして、
「Discover! 下関」を経験して参りました。
以前、このブログで紹介しました勝山城ですが、こちらは
元治元年創建と、比較的新しいお城。
では、勝山城の前はというと、長府の海のそばにあった
櫛崎城なのです。
海に突き出した位置にあったおかげで海防上極めて不利と
判断されました。その理由は文久3年の攘夷戦後、四国
連合艦隊が攻めてきたりしたからです。
そこで、その海に面していたという櫛崎城跡に行ってみることに!
現在の、豊浦高等学校の敷地の横に、石垣がその面影を
残していました。石の古さがいい感じです。
この櫛崎城は、長府藩祖・毛利秀元が築城しました。
そして、この櫛崎城趾のすぐそばに「豊功(とよこと)神社」が
あります。
ここで発見したのが、「長府藩報國隊顕彰の碑」なのです。
高さ1,6メートルの黒灰色仙台石に刻まれたこの文字!
その足元にいわれが書かれています。
高杉晋作による奇兵隊の結成、攘夷戦に引き続き
四国連合艦隊の襲来、都落ちした五卿の功山寺潜居と
これによる諸隊の長府終決など、長府藩内での大きな
出来事に、長府藩の若者たちも無関心ではなかった、と
いうのが発足の背景にあるようです。
元治元年(1864)、その時がきました。若い藩士たちが
藩祖秀元を祀る豊功神社の神前において、国家の大事に
身を捧げようと固い盟約を誓ったのがおこりだそうです。
この豊功神社は高台にあり、満珠・干珠(まんじゅ・かんじゅ)の島が
よく見渡せます。看板にあるように、日の出の絶景スポットだそうで、
すでに元旦の昼過ぎに行った私としては、後悔しきり・・・
来年は初日の出を拝みたいと思った次第です。
こちらの神社には、龍神船に乗った七福神がお祀りされていたり
して、「商売繁盛」もしっかりお参りさせて頂きました。
清々しいお参りが出来まして、今年もブログと「2017年
晋作伝」プロジェクトのスタートとして励んでいこうと
誓った次第です。
いつもご愛読、ありがとうございます。
今年も皆様も平和で穏やかな年になりますよう、また
これからもご愛顧のほどお願いいたします。
平成24年お正月
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