大内義長終焉勝山城址豊功神社

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長府藩の最初の居城/櫛崎城跡

皆様あけましておめでとうございます。
今年のお正月は実家のある下関に戻りまして、
「Discover! 下関」を経験して参りました。

以前、このブログで紹介しました勝山城ですが、こちらは
元治元年創建と、比較的新しいお城。

勝山城、知らなかった!


では、勝山城の前はというと、長府の海のそばにあった
櫛崎城なのです。

海に突き出した位置にあったおかげで海防上極めて不利と
判断されました。その理由は文久3年の攘夷戦後、四国
連合艦隊が攻めてきたりしたからです。


そこで、その海に面していたという櫛崎城跡に行ってみることに!

Img_2154_3

現在の、豊浦高等学校の敷地の横に、石垣がその面影を
残していました。石の古さがいい感じです。


Img_2153


この櫛崎城は、長府藩祖・毛利秀元が築城しました。
そして、この櫛崎城趾のすぐそばに「豊功(とよこと)神社」が
あります。
ここで発見したのが、「長府藩報國隊顕彰の碑」なのです。
高さ1,6メートルの黒灰色仙台石に刻まれたこの文字!


Img_2147

その足元にいわれが書かれています。

高杉晋作による奇兵隊の結成、攘夷戦に引き続き
四国連合艦隊の襲来、都落ちした五卿の功山寺潜居と
これによる諸隊の長府終決など、長府藩内での大きな
出来事に、長府藩の若者たちも無関心ではなかった、と
いうのが発足の背景にあるようです。

元治元年(1864)、その時がきました。若い藩士たちが
藩祖秀元を祀る豊功神社の神前において、国家の大事に
身を捧げようと固い盟約を誓ったのがおこりだそうです。

Img_2148

この豊功神社は高台にあり、満珠・干珠(まんじゅ・かんじゅ)の島が
よく見渡せます。看板にあるように、日の出の絶景スポットだそうで、
すでに元旦の昼過ぎに行った私としては、後悔しきり・・・
来年は初日の出を拝みたいと思った次第です。


Img_2149


こちらの神社には、龍神船に乗った七福神がお祀りされていたり
して、「商売繁盛」もしっかりお参りさせて頂きました。
清々しいお参りが出来まして、今年もブログと「2017年
晋作伝」プロジェクトのスタートとして励んでいこうと
誓った次第です。

いつもご愛読、ありがとうございます。
今年も皆様も平和で穏やかな年になりますよう、また
これからもご愛顧のほどお願いいたします。


平成24年お正月

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